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今より1,200年前、第55代文徳天皇の第1皇子の惟喬親王がロクロを考案し、木地師が生まれたと伝えられ、東北地方には惟喬神社を祀って信仰されています。
木地師が東北地方に渡ったのは、秀吉が奥州を鎮定した天正18年(1,590)蒲生氏郷が会津大名に命ぜられたとき、滋賀県愛知郡君ヶ畑より木地師頭の佐藤和助、新助が5名の木地師を連れてきたと享保3年(1,718)の新会津風土記に記されており、その会津から各地に木地師が流れたといわれています。
その頃ロクロは日常必需品である椀類、鉢類、盆、茶筒、農具等を作るためのものでした。そのかたわら木地玩具としてコマ、ダルマ、エジコ、こけし、笛等を挽いたのです。こけしの造形は簡単なので木地師の手遊びから始まったようです。しかし、しっかりした木地師が無心で作った時、素朴で美しさをもった木地玩具となったのです。子供にオシャブリとして与え、子供の成長と共に絵付けをして喜ばせたものがこけしの始まりで、生活の知恵が生んだそれが、こけしの原点と思われます。
東北地方の伝統こけしは、系統としての材料、形、絵付け等、親から子へ、師から弟子へと引き継がれたものなのです。
群馬県では、明示の頃から前橋市総社町を中心に木地玩具の生産が盛んに行われ、昭和20年頃から観光地のみやげ品としてミズ木、サンショ、白樺などの材木を使い、こけしが作られるようになりました。作者の自由な発想によって新しいデザインのこけしが次々と生まれ、群馬の近代創作こけしに発展しました。
藤川工芸 調べ
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